2013年12月14日

カテゴリー:つぶやき・お知らせ

【阿賀町鉱山特集・前編】「ナニコレ珍百景」で放映された阿賀町・持倉銅山こぼれ話~草倉銅山の事務員&五十島の蛍石

持倉銅山事務所跡(©山口冬人)
持倉銅山事務所跡(©山口冬人さんのブログ「山口冬人との奥阿賀」より引用)

ナニコレ珍百景」で放映されてから、東蒲原郡阿賀町の持倉銅山が大変注目されていますね。この銅山は江戸時代に発見され、明治期に銅の産出で栄えますが、鉱脈の枯渇や不景気の影響で大正期に閉山します。現在も事務所跡や精錬所跡が残り、地元の人々や鉱山・廃墟の愛好家の方々の間では昔から有名でした。

温古記(縮小)

阿賀町は鉱物地帯だったため、かつては多くの鉱山が経営されていました。中でも有名な鉱山が草倉銅山で、私たちは以前から重要な地域資源として位置づけ、関連資料を膨大に収集・保存・整理しています。その過程で草倉銅山及び持倉銅山の事務員を務めた矢部藤松さんの資料に出会い、「持倉銅山」の貴重な資料も収集できた訳です。ちなみに、草倉銅山を題材とした環境学習プログラムを、「あがのがわ環境学習ツアー」にて提供しています。

草倉銅山分析室(©矢部和男氏)
草倉銅山分析室の中にて記念撮影(©矢部和男氏)

持倉銅山事務所前にて(©矢部和男)
持倉鉱山採鉱課の前にて記念撮影(©矢部和男氏)

草倉銅山は持倉銅山と似ていて江戸時代に発見され、明治8年に古河市兵衛氏が経営権を買い取ってから銅の産出で栄えましたが、明治後期には鉱床が貧相化し大正初期に閉山します。矢部藤松氏は草倉銅山の末期に事務員として数年間務めた後、恐らくはその時の勤務経験が買われ持倉銅山の事務員としても務め始めます。

持倉時代での新潟行形亭(©矢部和男氏)
持倉銅山時代に新潟市の行形(いきなり)亭にて(©矢部和男氏)

しかし、その持倉銅山も鉱脈が枯渇し、不景気の影響から大正中期に閉山に至ります。その後、事務所跡などはそのまま放置されたようですが、昭和の時代に入り第二次大戦中から蛍石の貯鉱場として利用されたようです。東蒲原郡の著名な郷土史家・赤城源三郎氏の著書「東蒲原郡のなりたち」(昭和26年発行)によると、昭和20年代には五十島鉱業㈱が蛍石の採石事業を経営していた記述があります。
 

五十島の蛍石
五十島鉱業株式会社の経営で下條村五十島地内にある。五十島駅より南へかつてはトラックを通じた道路も今は破壊し、ようやく牛馬を通じ得る程度となり、阿賀野川の支流五十母川の渓谷に沿うて遡ること八キロ。アカシヤの林に囲まれた石造りの古城かと思われる建物はもと持倉銅山精錬所の跡-通称一本杉貯鉱場と言われ人背によって搬出された蛍石は、この崩れ残った建物の各室に貯鉱されたのち駅頭まで牛馬によって運搬される。一本杉から山元に至る五キロの間は険阻な山道で軽装でも登坂は難渋である。この山坂道を男は五十キロから百キロ、女は三十キロの石を背負い一日一回又は二回辛うじて搬出する、その労苦は絶大なものであり、将来山元一本杉間は索道をもって運搬されるべきものであろう。月産わずか一五十トンにすぎないながらも日本一の発掘を示しているこの五十島の蛍石は高く評価されるべきであり、朝鮮動乱により現在尚鉱山の蛍石が如何に我国の製錬業に重大な役割を果たし、且倍加してきたかを経営者も従業員も共に認識して愈々もって最高度の能力を発揮すべく生産増加に大奮闘している。(雑誌「越佐の風物」より)  「東蒲原郡のなりたち」P.51~P.52(※強調引用者、旧字体は新字体に修正)

 
IMG_4383
五十母(いそも)川の清流、すぐそこで阿賀野川に流れ注ぐ。

しかし、昭和30年代には事業も先細ったようで、それ以降は開発が本格化することなく、現在に至っています。持倉銅山は旧三川村五十島(いがしま)地区の五十母(いそも)川の渓谷沿いにあるようですが、テレビでも放映されていたように道中は登攀が困難で危険なので、地元ガイドがいない単独の踏査はあまりお勧めできません。また、建物の老朽化が激しく、崩れ落ちる危険性もありますので、注意が必要です。

私たちの代わりに、地元の写真家・山口冬人氏が素晴らしい写真を撮影され、ブログに掲載されてますので、下記記事からご鑑賞いただければと思います。

◆ブログ・山口冬人の奥阿賀
O新潟県阿賀野川紀行「阿賀町 持倉鉱山へ行ってきました」
http://yamaguchifuyuto.blog.so-net.ne.jp/2013-12-03
O新潟県阿賀野川紀行「晩秋の持倉鉱山」
http://yamaguchifuyuto.blog.so-net.ne.jp/2013-11-08
O新潟県 阿賀町 「持倉銅山跡に行って来ました」
http://yamaguchifuyuto.blog.so-net.ne.jp/2012-09-28
 
◆阿賀町鉱山特集
O阿賀町・持倉鉱山がテレビ「ナニコレ珍百景」で放映されます!
https://aganogawa.info/archives/12530
O【前編】「ナニコレ珍百景」で放映された阿賀町・持倉銅山こぼれ話~草倉銅山の事務員&五十島の蛍石
https://aganogawa.info/archives/12983
O【中編】「ナニコレ珍百景」で放映された阿賀町・持倉銅山だけじゃない!~草倉銅山パネル作品の紹介♪
https://aganogawa.info/archives/12996
O【後編】「ナニコレ珍百景」で放映された阿賀町・持倉銅山だけじゃない!~紙芝居「草倉銅山物語」の紹介♪
https://aganogawa.info/archives/13045

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