第19回新潟水俣環境賞作文コンクール優秀賞受賞作品の全文を掲載します!


(写真撮影:小原王明(こはらきみはる)氏)
 
平成30年6月17日、標記作文コンクールの表彰式が環境と人間のふれあい館で開催され、3名の方々が優秀賞を受賞されました。同コンクールは、新潟水俣病被害者の「こんな苦しみは自分たちだけでたくさんだ。子や孫に同じ苦しみを味わわせてはならない」という切なる思いから、次代を担う子どもたちに身の回りの環境に関心をもってもらおうと、県内小・中学生を対象に毎年開催されています。作文テーマは「新潟水俣病」や「身の回りの環境問題」などで、今回は333点の応募がありました。なお、今回の優秀賞は下記のとおりです。
 

◆優秀賞を受賞された皆さんと作品テーマ

 
優秀賞3作文の全文は下記に掲載します!
 

 

(上2枚の写真撮影:小原王明(こはらきみはる)氏)
 

小学校5・6年生の部

 

新潟水俣病の人々の事実

後藤尚子さん (新潟市立亀田東小学校5年)

 みなさんは、「新潟水俣病」という病気を知っていますか? 私は四年生の時に社会の学習で、水に関わる勉強をしました。そして、五年生の後期になり「環境と人間のふれあい館」で新潟水俣病のことについて勉強しました。そこで私が心に残ったことは、新潟水俣病の原因である「メチル水銀」などの環境問題についてです。新潟水俣病の原因は、熊本県と同様に、有機水銀をふくむ工場排水が新潟県阿賀野川流域で流され、中毒をまねいたとみられています。なぜ、この工場が有害物質を流したのか。疑問と同時に怒りを感じました。熊本県で起きた、この出来事に学んでいれば、このような病気は防げたのに…。残念で悲しいです。
私の父に話したところ、父の祖父がこの病気で亡くなった事を初めて聞き、おどろきました。自分の身近なところで水俣病患者がいたなんて…。父の祖父の症状は、手・足のしびれだったそうです。ご飯を食べる時も手がふるえ、毎日がとてもつらかったそうです。
でも、父の祖父は、
「金目当て。」
「ニセ患者。」
などと言われるのがいやだったので、病院にはいかずに一生を過ごしたそうです。今では新潟で「新潟水俣病地域福祉推進条例」をつくり、新潟水俣病患者への差別や偏見がなくなるように取り組んだり、私達のように学校でも新潟水俣病のことを学習する取り組みを進めています。しかし、今でも差別や偏見をおそれて、
「そっとしてほしい。」
とか
「寝た子を起こすな。」
と周りの目を気にしている人や、自分が水俣病であることをかくしている人も、まだたくさんいます。そこで、私達ができることは新潟水俣病がなぜ起きて、どのような病気なのか、どのような苦しみがあるのか。など、新潟水俣病を理解して、家の人・友達・親せき・大人の方々に伝えていくことが大切だと思います。会ったことのない父の祖父や、新潟水俣病にかかった人達のためにも自分自身が差別や偏見をなくすにはどうしたらよいのかなど、どう行動したらよいか、クラスのみんなや、とよさかのおばあちゃんなど、私の身近な人に話し、いっしょに考えていきたいと思います。
 

  


 

中学校の部

 

私達の義務

吉田知花さん (新潟明訓中学校2年)

 「あの家の嫁はもらっちゃいけないよ、おれたちにも害が出ちまうから。」このような話を、私達は身近で聞いたことがあるだろうか。恐らく無いだろう。この発言は、いわゆる差別発言であるが、一九六五年から長い間、差別としか捉えようのない例のような発言が飛び交う地域があった。その背景には、果たして何があったのだろうか。
 『水俣に命とり奇病』という見出しの新聞記事が、一九五七年に西日本新聞から出された。この奇病は、熊本県水俣市で発生し、後に水俣病と名付けられる公害である。
 新潟で水俣病と思わしき病が発見されたのは、一九六五年の六月であった。この病は工場から排出された水銀が原因だといわれている。水銀を含んだ川魚を大量に食した人が発病し、症状は、軽いと手足の感覚が鈍る(感覚障害)、視野が狭くなる、上手く手足の運動ができない(運動失調)などがあり、重いと意識障害を起こしたり、死に至ったりする。重症者の場合は他から見ても異常が発見できた。しかし、感覚障害のみの患者も大勢いた。これは自分にしか分からないもので、他人の理解を得ることはできなかった。
 当時は原因が分かっておらず、伝染病の可能性も否めなかった。故に、健康な民たちは、水俣病に侵された人々を病原体そのものと認識しており、結婚の約束を取り消したり、関係を断ったりした。でも、これだけが差別では無かった。軽症者には冷たい目線が向けられていたのである。一九六七年から、新潟水俣病の被害者を救済すべく、次々に裁判が行われた。その裁判に向かう軽症の水俣病患者に、健康な民たちは、“お金欲しさに裁判を起こしている”という偏見を抱いたのである。このように言われた患者の心は、考えるまでもなく悲しみに包まれたであろう。現代の私達には、とても計りしれないものだと思われる。
 しかし、その体験を今へ語り継ぐ方たちがいる。語り部だ。私が話を聞いたのは、水俣病の軽度患者である男性だ。私は彼を見たときに思った。外見が、健康な人と変わらない…と。軽度の症状の患者は、重症者よりも、体は大丈夫でも、心に傷を負ったんだと痛感した。彼の話は重みのあるものばかりだったが、中でも強く訴えていたのは、水俣病は終わっていないということ。
 勿論、今もなお水銀が流されているとか、そんなことでは無い。言い換えれば、“今も苦しんでいる患者がいる”ということになるだろう。水俣病は、かかったら治らない病気であり、より目に見える点から言えば、裁判が終わっていないのである。
 この、未だ続く水俣病に、中学生である私に何ができるのであろう。と一時期考えていたことがある。私は患者ではないから苦しみを全て分かることはできないし、そもそも生まれていない。今だって立場は一人では生きていけない、いわば社会的弱者であり、経済力などゼロに等しい。こんな私に何ができる、と。だが、自分にもできることを教えてくれたのが語り部の存在だ。何故語り部がいるのか。私達の代に伝えるため。何故伝えていくのか。それは、水俣病を風化させないためではなかろうか。
 人間は忘れる動物であり、歴史から考えれば、“学習しない”生き物でもある。何度も同じ過ちを繰り返している。語り部の彼は、このような思いをするのは私らだけで十分だと話した。彼のような患者の方々の意志を継いでいける者こそ、私達なのではないだろうか。“風化”させない私達の行動が未来に懸っていると私は強く信じている。それが同時に、患者の方々への貢献になれば幸せだ。人のもつ優しさが薄れている現代にとって、難しいことであり、やりがいのある事が伝えていくことだ。こんな考えを知るところからで良い。小さなことから、やがて綺麗事でない話にすることこそが、私達の義務なのではないだろうか。
 


 

未来につなげていくために

佐藤さくらさん (新潟明訓中学校2年)

 新潟水俣病について、深く学習をするために、私は、新潟県立環境と人間のふれあい館―新潟水俣病資料館―に校外学習で行ってきた。
 そこでは、語り部の新潟水俣病の患者さんに話を聞かせていただく機会があった。その語り部の方は、とても深刻で、つらそうに、
「新潟水俣病という病気にかかって、一番、私たち患者にとってつらいことは、自分の住んでいる地域の人からの差別、偏見、また、人に迷惑をかけるということ、そして何より、心の自由がきかなくなることだと思います。」
と、おっしゃっていた。
 私はハッとした。もし、自分がそのように心の自由がきかなくなったら、耐えられるわけがない。心の自由がきかなくなったら、生きていく価値さえも見出せなくなってしまっているに違いない。しかし、この語り部の方のように、生きていることを、普通だとは思わずに、毎日毎日を大切に大切に生きている人がたくさんいる。そのような人たちや、助けを求めている人に、できる限り、たくさんの人に優しく、手を差し伸べたい。だから私は、この時、
「国境を越えて、たくさんの人を診察できる医師になりたい。」
という将来の夢を持った。
 また、私はやっと気づかされた。学校に行く。友達と遊ぶ。楽しく家族全員で食事に出かける。このような、当たり前だ、と思うことをしている間に、生きることに精一杯の人々も日本だけではなく、世界にもたくさんいるということを。
 文明の発展には、新潟水俣病のような環境問題と表裏一体である。もちろん、文明の発展は、私たちが豊かな生活を送るために、必要不可欠なことだ。しかし、環境問題のせいで、苦しんでいる人がいるということを、片時も忘れてはならない。
 第二次世界大戦終戦四十年を記念した演説で、ワイツゼッカー・元ドイツ大統領は、こう述べている。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」
 私たちは、過去のゆるぎのない真実から、決して目を逸らさず、現在の文明発展のために力を注ぐ社会のあり方を考え、そして、未来の人たちへと人類の歴史のバトンをつないでいかなくてはならない、という義務がある、と私は強く思う。過去を考えなければ、現在、そして未来は絶対に視野に入らない。だから、新潟水俣病のような、二度と繰り返してはならない過去の真実を、「過去のこと」ではなく、「未来への出発点」というような考え方に改めるべきだ。
 私が、今回の新潟水俣病の学習を通して感じたこと、学んだこと、すべきだと思うことを、積極的に、まずは周囲に話し、それらに興味、関心を持ってもらう。そして、自分が目指す医者に将来なることができた暁には、笑顔が絶えない平和な世界にするため、またそのような世界を未来に届けるため、未来へと届けるバトンをつなぐ役割を果たしたいと思う。
 


 

第19回新潟水俣環境賞作文コンクール

  • 主催:新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病阿賀野患者会
  • 後援:新潟県・新潟県教育委員会、新潟市・新潟市教育委員会、阿賀野市・阿賀野市教育委員会、五泉市・五泉市教育委員会、阿賀町・阿賀町教育委員会、新潟日報社、朝日新聞新潟総局、毎日新聞新潟支局、読売新聞新潟支局、産経新聞新潟支局、日本経済新聞社新潟支局、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、NST、TeNYテレビ新潟、UX 新潟テレビ21、エフエムラジオ新潟、FM PORT 79.0

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