中川造船鉄工所さんでうかがったコーレンボウの思い出ロバダン!

満願寺の砂利舟(写真アルバム新潟市の昭和)
「満願寺閘門を通過する砂利を積んだ鉄製コーレンボウ」(昭和44年/「写真アルバム 新潟市の昭和」〔いき出版〕P.94より引用)
 
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「修理中の“30年選手”のコーレンボウ」(撮影場所:中川造船鉄工所)
 
昨日は雨が激しく降る中、小阿賀野川と能代川の合流点にある「中川造船鉄工所」さんにお邪魔して、代表の中川仲一さんから昔のコーレンボウにまつわる思い出話をお聞きしました。「コーレンボウ」は全国でも信濃川と阿賀野川にしか存在しない独自の大型貨物船として明治期に登場して、最盛期には300艘近いコーレンボウが勇壮な帆をはって両方の大河を往来していました。
 
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中川仲一さんのお父様が立ち上げられた中川造船鉄工所は、もともと昭和6年に(現在は栗の木バイパスとして埋め立てられた)栗の木川沿いの船大工の工場(こうば)としてスタートしました。その頃は栗の木川沿いに6軒ほどの船大工の工場(こうば)があったそうです。中川造船さんでは当初、かつて越後平野の多くの農家が所有していた「イタアワセ」と呼ばれたサンパ船や、それを小型化した「キッツォ」と呼ばれた田舟などの建造を専門としていたそうです。
 
グレースケールでスキャン:深田での稲刈り作業(昭和26年撮影) img-X07160144-0001
写真左「田舟を使った舟刈りの様子」/写真右「役割を終えたイタアワセ」(本間喜八氏撮影、昭和30~40年代/「写真は語る 亀田の百年」写真左P.1・右P.22より引用)
 
昭和30年前後、戦後の土地改良で乾田が急速に広がり、イタアワセやキッツォの需要が急速になくなる中、中川造船さんも当時は砂利運搬船として需要があったコーレンボウの建造に乗り出します。その頃、小阿賀野川の船頭組合が所有していた造船所が売りに出され、中川造船さんはそこを買い取ってコーレンボウの専門的な建造に特化していくようになりました。
 

 
中川仲一さんは昭和30年に入社され、先輩の船大工から作り方を教わりながらコーレンボウづくりに精を出していきます。当初は木造が主流だったコーレンボウも昭和30年代前半に鉄製コーレンボウに代わり、これまでにおよそ100艘近くのコーレンボウを建造されたそうです。現在、コーレンボウの建造はされず現役船の修理がメインで、10台ほど所有されているとのことでした。
 
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その後、様々な意見交換をさせていただいて、気づいたら時間がたつのも忘れて夕方まで3時間以上話し込んでいました。コーレンボウは阿賀野川独自の文化を語る上で絶対に外せないシンボル的な存在ですので、今後とも取材を続けて改めて本サイトやイベントなどで取り上げたいと考えています。お楽しみに!

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