特集!阿賀野川ものがたり第1弾「イザベラ・バードの阿賀流域行路を辿る」その②県境から会津街道を通り津川まで〔後編〕

2014.8.13スライダー:特集1イザベラバードの阿賀流域行路を辿る
 

「イザベラ・バードの阿賀流域行路を辿る」その②県境から会津街道を通り津川まで〔後編〕

 
前編では、会津街道の代表的な宿駅の一つである八木山まで、バードの足跡を辿りました。

ちなみに八木山には、参勤交代などで大名が宿泊する「本陣」と呼ばれる施設に指定された渡部家を中心に、旅人が宿泊したり休息を取る旅籠や茶屋が何軒かあって賑わっていました。会津街道を旅した江戸期の戯作者・十返舎一九は、「…やけ山のゑきにいたる。…名物のきなだんごをくいすぎて、むねのやけ山いかがしづけん」と、茶屋で休んでお団子を食べた様子を旅行記「諸国道中金の草鞋」に書き記しています。なお、八木山集落の宿がよく火事騒ぎを起こしたため、「焼山」という当て字が付けられたとも言われています。
 
旧海道組郷頭、八木山村本陣渡部一郎氏宅(津川町)(東蒲原郡史資料編5近世四) 旧焼山宿 旅籠三条屋 手前右会津街道 左明治三方道路(津川町)(東蒲原郡史資料編5近世四)
写真左:八木山本陣・渡部家(※「東蒲原郡史資料編5近世四」P.533から引用)
/右・八木山の旅籠・三条屋、屋敷に続く道が会津街道、下の道路は会津三方道路(※同P.534から引用)
 
十返舎一九「諸国道中金の草鞋」(杉原千代治氏所蔵)東蒲原郡史資料編5近世四P.525 IMG_1215
写真左:十返舎一九「諸国道中金の草鞋」焼山の紹介部分(杉原千代治氏所蔵/東蒲原郡史資料編5近世四P.525から引用)/右・八木山集落の道路沿いに建てられた昔の旅籠・茶屋・旧跡などを示す案内板
 

日本の村落の貧困を憂いたバード

 
こうして日本の様々な資料を調べると、会津街道沿いの集落は旅籠や茶屋が繁盛するなど、重要な交易路としてあたかも賑わっていたように感じます。しかし、バードの旅行記を読むとそうではなく、旅の初期に通過した東京近郊や日光までの村々の描写とは異なり、日本奥地の村落の日常風景はバードの眼にはまったく別の光景として映っていました。
 

(粗野な習性と無知)

 宝沢[宝坂の誤記]や栄山に着いた時、この地方の集落の汚らしさはここに極まれりと感じられた。人々は木を燃やす煙で黒く煤けた小屋に鶏や犬や馬と一緒に群がるように住まい、堆肥の山からは液体が井戸に流れ込み、男の子供たちはすっ裸だった。たいていの男は〈マロ〉[揮(ふんどし)]以外ほとんど身につけていなかった。女たちも上半身は裸で、腰から下に身につけているもの[腰巻]も非常に汚く、単に習慣によって身につけているだけのように思えた。大人たちには虫に刺された炎症が、子供たちには皮膚病が全身に広がっていた。家は汚かった。…(略)…彼らは礼儀正しいし心優しいし勤勉だし、重罪とは無縁ではある。…(略)…もし人々がこれほど礼儀正しくも心優しくもなかったならば、彼らの置かれている状況にこれほど心を煩わされることもないのかもしれない

(「完訳 日本奥地紀行1 横浜-日光-会津-越後」(イザベラバード・著/金坂清則・訳注/平凡社東洋文庫)P.236-237引用。なお[  ]内は訳者等による補足説明)

 
確かに栃木県の日光を過ぎてしばらくしてから、行く先々の集落の貧困や不衛生な生活について、バードはたびたび言及するようになります。特に、車峠を越えて以降の集落については「この地方の集落の汚らしさはここに極まれり」として、その悲惨な様子を上記引用のように記録しています。ひどい悪路に伴う疲労も相まってバードの筆致がやや厳し目になったのかもしれませんが、恐らくは当時の日本の内陸部の村落は多かれ少なかれ似たような状態にあったのではないかと推察されます。
 
イザベラ・バードと言えば、日本の景観を目の前にして「ライン川より美しい」とか「アルカディア(桃源郷)のようだ」と絶賛したり、女性が一人旅できる国内環境や誰もが子どもを慈しむ国民性を称揚するなど、日本の風物の礼賛者というイメージが一般的です。しかし、実際に旅行記に目を通すと、キリスト教的な価値観が入りつつも当時の欧米の生活水準と照らし合わせて、日本の(他国と比べて)優れた側面と改善が必要な側面を冷静に観察し客観的に記録していることが分かります。
 
ちなみに、男性は褌(ふんどし)だけだったり、女性は上半身裸で腰巻だけ身に着けていたりと、ほぼ全裸に近い村落の人々の生活状況を見てバードは驚いています。著名な民俗学者の宮本常一氏は、当時の日本の特に山間地の村落では、着物の素材が山で採れる麻か藤が多く頻繁に洗濯するとすぐ着破れてしまう上に、着物一人分の一反を織りあげる作業は一カ月もかかり負担が大きかったため、衣服は大変汚れていたし家の外でも全裸に近い状態で過ごすのが通常だったと指摘しています。
 
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む(宮本常一・著/平凡社ライブラリー)
 
私としては、どうも日本国内の歴史資料ばかり眺めていると、当時の生活様式や文化水準を牧歌的なものとして夢想しがちでした。しかし、バードの旅行記に目を通すと、今日の私たちが享受する日本の豊かな生活環境は、その大半がやはり昭和30年代の高度経済成長期以降に築かれたもので、それ以前の日本の村落の生活環境は大変厳しい状態だったのではないかと再認識を迫られました。当時の日本国内の状況を客観的に把握する意味においても、バードの旅行記は大変貴重な資料だと分かります。
 

日本の三大川港・津川に宿泊

 
さて、八木山を通過して以降、バードの完全版の方の旅行記では、道中でよく見かける樹木に話題がうつり、この地方特産の漆や木蠟に言及します。やがて、バードと従者の伊藤は山を抜け盆地に出て、その日(7月1日)の宿泊地となる津川に辿り着き旅館に泊まりました。
 

(津川の宿屋 - 品の良さ - 「礼儀正しい-異人さんにしては」)

 ここ[津川]で私は満員の〈宿屋〉に泊まったが、私は野次馬の目に触れない庭にある気持ちのよい部屋を二間、用立ててもらった。伊藤はどこに着いた時も私を部屋に閉じこめ、翌朝の出発まで厳重に監視された囚人のようにしておきたがった。しかしこの宿では自由を得、〈台所〉に腰を下ろして楽しい一時を過ごした。この宿の主人は今や厳密にはなくなっている〈武士(サムライ)〉つまり二本差しの階級の人物である。低い階級の人々に比べて顔は面長で唇は薄く、鼻は高くて鼻筋がよく通っていた。また立ち居振る舞いにも明らかな違いがあった。私はこの人との興味深い会話を大いに楽しんだ。

 この開けっ放しの部屋には漆塗りの机に座って書き物をする番頭や裁縫をする一人の女性がいたほか、〈板間〉では人足が足を洗い、〈囲炉裏〉の回りでは数人の人が胡坐をかいて煙草を吸ったり茶を呑んだりしていた。番頭が書き物をしている机は横長で低く両端が反ったものであるが、この形状はごくありきたりのものである。また、下男が私の夕食のための米をといだり、女が夕食をこしらえたが、この仕事をする前に男は着ているものを脱ぎ[揮一つになったし]、女は〈着物〉を諸肌に脱いだ。こうすることがちゃんとした女性の習わしになっているのである。宿の女将と伊藤は憚ることもなく私についてしゃべっていた。何を話しているのかと尋ねた私に、伊藤は「女将はあなたがとても礼儀正しい方だと申しております」と答え、「異人さんにしては」と付け加えた。そこで彼女がそう思うわけを尋ねると、畳に上がる前に私が靴を脱いだし、女将が〈煙草盆〉を手渡した時にお辞儀をしたからですとのことだった。

(「完訳 日本奥地紀行1 横浜-日光-会津-越後」(イザベラバード・著/金坂清則・訳注/平凡社東洋文庫)P.238-239引用。なお[  ]内は訳者等による補足説明)

 
バードの旅行記には当然ながら多くの宿屋が登場するものの、(外国人は珍しいため)見物客が押しかけ衆人の奇異な目に晒されたり、部屋の畳一面が蚤だらけだったりと、大半の宿屋の評価は著しく低いのが特徴的です。ところが、この津川の宿屋は珍しく大変高く評価されているのです。当時の津川は日本の三大河港と称されるほど賑わっていましたので宿屋が何軒かあったのですが、残念なことにバードが宿泊した旅館を特定した文献が見当たりません。
 
「完訳 日本奥地紀行1 横浜-日光-会津-越後」の訳者で、イザベラ・バード研究の第一人者である金坂清則氏によると、「江戸時代に名主と津川船道役家を兼ね、名字帯刀を許されて旧本陣でもあった船道家(津川町史編さん委員会『津川町史』新潟県東蒲原郡津川町役場、一九六九)だったと考えてよい。この宿の構造もこの考えの傍証になる」と述べているのですが、実際には町中のどの旅館だったのか、もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけると幸いです。
 
さて、この後さらにもう1泊して、バードは津川の町中散策に出かけるのですが、長くなりましたので続きは来週にします。
 

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