2013年12月12日
カテゴリー:つぶやき・お知らせ
地域再生って何?~公害資料館連携フォーラムを終えて~
先日の土日に開催された公害資料館連携フォーラムでは、2日間に渡り様々なテーマで分科会が開かれました。あがのがわ環境学舎は「地域再生」(regional revitalization)がテーマの分科会2を、他の有識者の方々と共に担当させていただきました。その最後の方で参加者の学生さんが仰った「そもそも地域再生とは何なのですか?」という問いかけこそ、今日の地域再生をめぐる問題の本質をついていると思いました。
そもそもフォーラムの目的が「公害資料館の連携」ですから、その中で「地域再生」は毛色の異なるテーマなのですが、実質的な主催者の「あおぞら財団」さんがどうしてもと仰ったため、専門の分科会が設けられた次第です。そして2日間も与えられたため、1日目のテーマを「公害発生地における地域再生」、2日目を「今日の日本における地域再生」としました。この際、地域特殊的な問題から一般的な問題へと展開したかったからです。
もともと公害問題の関係者やそれに関心の高い方々が参加されているため、公害がテーマに入った1日目はそれなりに盛り上がった気がします。水俣市における「もやい直し」という先例もあってイメージしやすいですし、感情移入しやすい面もあるでしょう。しかし、そうした表層的な盛り上がりとは別に、地域再生の本質的な困難さを冷静に検討しあう雰囲気はありませんでした。
2日目の分科会で、当日のゲストである鼓童の菅野さんからお話しいただく前に、私の方で簡単なプレゼンをいたしました。一般的な地域再生を討議する際に、参加者に思考の方向性を共有していただこうと考えたからです。それは戦後の日本の経済成長と、今後の日本社会の変化について紹介したものでしたが、参加者の多くは地域再生とうまくリンクできず腑に落ちない表情をしていました。
ちなみに、戦後の日本では高度経済成長(※その代償が「公害」と「過疎化」)で築いた富を、昭和40年代後半から「国土の均衡ある発展」の名のもと、日本各地に再分配し始めます。しかし、バブル崩壊に伴い90年代から経済は停滞し、2000年代は少子高齢化の影響も相まって消費人口の減少が顕著になり、市場は急速に縮退し続けています。こうした傾向は今後も続き、人口が地域から撤退し都市部に集約される傾向が予測されています。
こうした認識や危機感はまだ十分に共有されているとは言い難く、これまでの地域再生と言えば、それはまちや地域が元気になるコミュニティの活性化が中心でした。私が阿賀野川流域の地域再生に関わった頃は、NPOや有識者の方々がいわゆる「ワークショップ」や「地域の宝探し」を頻繁に行っていました。現在では「ワークショップ」&「まちあるき」(ガイド養成)のセットが主流のようです。
こうした日本各地で実践されてきた試みは、ごく一部の例外を除き大半が経済的成果を生みませんでした。それでも良しとされたのは、地域が元気になったりコミュニティが活性化された気がしたからであり、これまでの日本の財政状況が(苦しいとは言え)許容してこれた僅かな余裕があったからです。今後の日本の現実を前提とすれば、従来の地域再生の主たる手法は限界を迎えつつある気がします。
現在胎動しつつある(今後主流になるであろう)地域再生は経済的成果が重要な指標となり、それには経営的手法(※環境学舎が今後鍛えねばならない部分)の導入が必須となります。したがって、従来の地域再生で重視された「みんなの合意で」「みんなで熟議しあって」「みんなの意見を聴いて」という価値観が根本から揺さぶられます。協働も闇雲にすれば良い訳でなく、経済的成果の創出を念頭に置いた協働が重視されます。
昨日もツイッターでどなたかが呟いてましたが、身も蓋もない言い方をすれば「まちづくり」でも「地域づくり」でもなく、「経済づくり」が地域再生には必要とされています。日本各地がすでに(あるいは遅かれ早かれ)直面する厳しい現実に向き合い乗り越えようと試みる場合、好むと好まざるとに関わらず、この「経済づくり」を目指す地域再生は避けられないと私は考えています。
極端な話ですが、経済的成果の創出が極めて困難な公共領域が必要な場合も、それを少しでも経済的に補填し得るような民間領域の創出が、先端的な地域再生の現場では(当然のように)要求されます。つまり、従来の地域再生とは手法も目的も別物の取組となっています。ことほどさように現在は過渡期なので、地域再生にまつわる前提やイメージを各人各様で話されて議論が進むため、何を話し合っているのか判然とせず、「地域再生って何?」という冒頭の疑問を抱きがちなのだろうと推察しました。
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