2012年07月08日
カテゴリー:コラム
【コラム】阿賀野川流域・地域再生の軌跡~その5「社会問題と住民との間の溝を埋める」
◆これまでの歩み3:平成21年度
大阪に出張に来て道に迷っている事務局のYです。FM事業を振り返る短期集中連載コラムその5をお届けします。前回の記事に引き続き、今回もFM事業のこれまでの歩みを年度別に振り返って簡単に説明したいと思います。今回は平成21年度です★
なお、今回から、これまでのコラムも含めてですが、タイトルに副題をつけてみました。今回のサブタイトルは「社会問題と住民との間の溝を埋める」。新潟水俣病問題が再び注目を集め始めた平成18年から平成19年頃、様々な関係者の方々から「なぜ“もやい直し”は阿賀野川流域で進まないのか」とよく訊かれましたが、その後地域再生を実際に進めていく中で、「社会問題と大勢の住民との間には心理的な溝があるから」ということが分かりました。今回はそのことを後半のテーマに取り上げます。
◇FM事業の枠組みが確立した年
個別事業の企画検討から運営段階へ移行する年度となることから、それに合わせ推進体制も編成し直しました。さらに、前年度に試行した個別事業に加え、独創的な個別事業も新規に加わり、FM事業の現在の枠組みが完成した記念すべき年になりました。
個別事業を支援するための体制に再編成
複数の個別事業を現場で運営していく新たな段階に備えるため、個別事業を企画検討したプロジェクトチームを発展的に解体して、新たにワーキングチーム(WT)を個別事業ごとに編成し、各WTが担当事業の業務を支援していく体制となりました。そして、WT編成後の5月26日に「第2回推進委員会」が開催され、平成21年度における「環境学習」「イベント」「情報発信」の3分野についての方向性が確認されました。
- 環境学習理念原案の策定
- 草倉銅山ツアーの実施
- パネル巡回展「草倉銅山の光と影」開催
- 紙芝居「阿賀野川物語」制作
- 阿賀野川え~とこだより創刊号・第2号発行
- 阿賀野川え~とこだ!ブログ運営
- 草倉銅山関連・鹿瀬工場タイムスの資料整備を実施
- ロバダン!(炉端談義)17回実施
- 地域再発見講座(第2回)「ハーモニカ長屋から眺めた風景」開催
>>さらに詳しく:平成21年度FM事業の経緯・成果など〔PDF形式:940キロバイト〕
◇流域の人々との距離を縮めた「ロバダン!」と「資料整備」
この年にほぼ完成した現在のFM事業の枠組みは、下図のとおりとなります。その成立の鍵を握っていた個別事業が、現在、多方面から評価いただいている「ロバダン!(炉端談義)」と「資料整備」でした。この2つの独創的な事業を通じて、地元の方々の本音を伺うだけでなく、交流も深まることで貴重な資料をお貸しいただき、流域内外の人々の心を打つ作品の数々を制作していくことができました。
FM事業では、なぜ、この2つの事業が必要とされたのか
FM事業の目的である阿賀野川流域の「もやい直し」は、昭和40年に新潟水俣病の発生が確認されて以来、何度かその必要性が訴えられてきたものの、残念ながらFM事業が開始されるまで流域ではなかなか進展しませんでした。これまで試みられてきた新潟水俣病に関する啓発や取組に対して、流域に住む多くの人々は何らかの理由から一定の距離を置いてきたのが実情ではないでしょうか。
それは、正しい理解という関係者からのスローガンや「被害と加害」という一面的な視点からの情報発信が強すぎて、本来多面的であるはずの新潟水俣病に対する見方や感じ方、あるいはお互いの言い分などを話し合う機会が、これまで流域では皆無に近かったことと無関係ではないと、FM事業では考えています。
“FM事業の代名詞”になった「ロバダン!」と「資料整備」
そうした実情を踏まえて、FM事業では「ロバダン!」(炉端談義)という取組をスタートさせ、流域の様々な立場や団体の人々から、本音の意見や訴えを聞き出す少人数の寄り合いを、流域各地で開催していくことにしました。その結果、これまで埋もれてきた様々な見方や感じ方が流域には数多くあることが確認できました。当初、「新潟水俣病の話題は語らない」と念押しされた方々が、話が弾むにつれ、むしろ積極的に語ってくれたこともしばしばありました。
一方、「資料整備」では、「ロバダン!」などを通じて入手できた流域関連の膨大な資料を収集・保存・整理する作業が進められた結果、「光と影の歴史」を描写したパネル作品などを制作することができました。その作品をお披露目するパネル展は、上流域ではタブーだった新潟水俣病のことを作品内で言及しているにも関わらず、阿賀町内の6旅館等を巡回し観覧者から大変な共感を呼ぶなど、一定の成果を収めることができました。
このように、「ロバダン!」と「資料整備」が功を奏したことで、イベントや情報発信の分野が進展したのは勿論、流域の人々とFM事業との距離が以前より縮まったことが最大の成果と言えます。この2つの事業は、これまでFM事業に欠かせない「縁の下の力持ち」的存在でしたが、今では多方面から寄せられる注目や高い評価などから、「FM事業の代名詞」と言っても良い取組へと育ちました。
次回は平成22年度の歩みをお送りします。
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