2013年12月05日
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新潟水俣病講演会「新潟水俣病50周年をどう迎えるか」を聴講して…
さる11月22日(金)に開催された、新潟水俣病講演会「新潟水俣病50周年をどう迎えるか」(主催:新潟県立環境と人間のふれあい館-新潟水俣病資料館-)に参加して、貴重講演やパネルディスカッションを聴講してきました。
会場には、被害者の方、行政関係者、教育関係者や学生さん、マスコミ、一般の方々など、大勢の方々がいらっしゃいました。基調講演は熊本県エネルギー政策課長の山下慶一郎さんで、平成18年の水俣病公式確認50年事業の際には、実行委員会の事務局長を担当されていました。
そうしたご経験を踏まえられて、「新潟水俣病50周年をどう迎えるか~水俣病公式確認50年事業を実施して考えたこと、学んだこと~」という演題で講演されました。
基調講演後は、5名の関係者によるパネルディスカッションが行われました。テーマは「新潟水俣病の正しい理解と経験・教訓を伝えるために何ができますか」。なかなか難しいテーマのもと、皆さんそれぞれのお考えを述べられていました。
あがのがわ環境学舎の関係者としては、日本自然環境専門学校の五十嵐先生と、波多野孝さんが、コーディネーターやパネリストとして参加されました。
事務局スタッフである私の感想ですが、今回は講演会タイトルにもある通り、「新潟水俣病50周年をどう迎えるか」という問題意識を持って聴講に臨みました。ポイントは熊本県庁・職員の山下さんのお話で、新潟県が彼を招聘したのは50周年を実施済みの水俣地域の取組を参考にするためでしょう。その際に重要なのは、熊本の取組が新潟の参考事例となるかです。
今まで私は水俣地域を2回訪問し、関係者からのヒアリングも重ねていて分かるのですが、熊本の水俣地域と新潟の阿賀野川流域地域は、これまでの経緯についてかなり地域事情が異なります。したがって、両地域が公害の発生時点から、どのように異なる経路を辿って問題が複雑化してきたのか、今一度振り返る必要があると感じています。
そうした固有の文脈の分析と比較を行わないと、なぜ水俣地域があのような規模と性格の50周年事業を行うに至ったのか(行えたのか、行わざるを得なかったのか)が判然としません。そして、水俣地域とは異なる背景を持つ新潟が先行事例をどのように参考にすべきかが、論理的に見出せないのではないかと考えています。
何となくマネしとこうよ、とりあえず縮小版で行こうよ…という考えも理解できなくもないのですが、こうした動きをできれば地域の未来へつなげていきたいという思いがある場合は、両地域の文脈分析は避けて通れない気がします。そして、両地域の差異や現状をきちんと踏まえた先に、(山下さんも最後に強調されていたように)新潟らしい50周年のあり方が見えてくるのではないでしょうか?
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