第20回新潟水俣環境賞作文コンクール優秀賞受賞作品の全文を掲載します!


(写真提供:新潟水俣病共闘会議・有田純也氏)
 
令和元年6月15日、標記作文コンクールの表彰式が環境と人間のふれあい館で開催され、4名の方々が優秀賞を受賞されました。同コンクールは、新潟水俣病被害者の「こんな苦しみは自分たちだけでたくさんだ。子や孫に同じ苦しみを味わわせてはならない」という切なる思いから、次代を担う子どもたちに身の回りの環境に関心をもってもらおうと、県内小・中学生を対象に毎年開催されています。作文テーマは「新潟水俣病」や「身の回りの環境問題」などで、今回は331点の応募がありました。なお、今回の優秀賞は下記のとおりです。
 

◆優秀賞を受賞された皆さんと作品テーマ

 
優秀賞4作文の全文は下記に掲載します!
 

(写真提供:新潟水俣病共闘会議・有田純也氏)
 

小学校5・6年生の部

 

「光」と「かげ」

平山周さん(上越市立東本町小学校5年)

 「お金や富よりも人の命を最ゆうせんする」
 この言葉はぼくの中で一番心に残る言葉です。ぼくは、阿賀に行って新潟水俣病のことを知りました。水俣病の原因は、熊本県水俣市の化学工場のはい水にふくまれていたメチル水銀だということだと教わりました。同じく新潟水俣病も工場はいすいにふくまれていたメチル水銀が原因だということも教わりました。
 ぼくは、小武節子さんのお話を聞いていてぎ問に思ったことがあります。それは、なぜ、熊本水俣病から9年もたっていたのに国が人の命よりもき業の発てんの方をゆう先していたのかということです。このぎ問について調べてみると、 一九五〇年代後半から一九六〇年代にかけての日本の高度経ざい成長には、「光」と「かげ」があったことが分かりました。そのころ日本は海外から導入した技術をもとに新しい産業をおこすための工場が国のあちこちに新設されました。 また、人々の消費もかく大して、テレビやせんたく機、冷ぞう庫などの家電製品や自家用車がどんどん増えました。それにより、日本の家庭のくらしが豊かになり、人々の心も豊かになりました。これが高度経済成長の「光」の部分です。一方で、高度成長のもと新設された工場からはい出された有害物質により水や大気などがおせんされ、水俣病のような公害が各地で発生しました。これが高度経済成長の「かげ」です。熊本水俣病発見から新潟水俣病の確認までの間は、物を作る・ 物を売る、そして、国が豊かになるということだけをゆう先するあまり、工場からはい出される水やけむりが自然や人の命にどんなえいきょうをおよぼすかということをだれも考えなかったのかなとぼくは思いました。気づいていた人もいたはずだと思います。物が売れなくなるかもしれない、会社がつぶれてしまうかもしれない、そんな風に自分のことだけを考えた自分勝手な人たちが公害に気づいていてもこわくて言いだせなかったのだろうと思いました。
 小武節子さんも他の新潟水俣病語り部さん達も「新潟水俣病のような公害を二度と起こしてほしくない」と何度も言ってらっしゃったことを思い出しました。 お金や富よりも、失敗やまちがいに気づいたならば、正直にそれを認めてやめる勇気をもつことが大切だと思います。日本の高度経済成長のときに、工場にも国にもその勇気があれば、公害は起こらなかっただろうと思います。ぼくも大人になり、働き手になったらどんな時も「お金や富よりも人の命を最ゆう先する」という気持ちを持って生きていきたいと思います。
 

  


 

 

水俣病について学んで

貝沼祐奈さん(上越市立東本町小学校5年)

 「公害は人間が起こしたものだから、大人や子ども が真剣になればふせげるものだ」
 これは水俣病をテーマに書かれた紙芝居「阿賀のお地ぞうさん」でおじいさんがタカシ君に話した言葉です。私は水俣病について勉強し、その悲しい歴史を知ったことで、このおじいさんの言葉に強く共感しました。
 新潟水俣病が発生したのは、日本の社会が豊かさや快適さを追い求め、重化学工業に力を入れていた時代でした。豊かさや快適さを手にした人がいた一方で、全国各地で公害問題が発生し、その犠牲になった人たちがいました。
 私たちの新潟県でも国の電力開発事業計画のひとつとしてかのせダムがつくられ、そこで大量にあまってしまうことになった電力を活用するために昭和電工が建てられました。その昭和電工がメチル水銀を含んだ排水を阿賀野川に捨てていたことで、川魚をたんぱく源として食べていた人々が水俣病を発症することになってしまいました。
 水俣病の語り部をされている小武さんの体験談は、とても悲しい気持ちになるものでした。水俣病の症状である手足のしびれ、足のこむらがえりは、小武さんの今までのふ通の生活をうばいました。やりたいことが出来ない、ふ通の生活が出来ないことはどれだけ辛いことでしょう。肉体的に辛い思いをしていた小武さんや患者の方々をさらに苦しめ追いつめたのは、周りからの偏見や差別でした。水俣病は外見からはその辛さが分かりにくく「本当に水俣病なのか?」と言われたり、水俣病についての間違った認識から「うつるから、病院はうら口から入れ!」などという心ない言葉をあびせられたそうです。また、水俣病の原因を知りたい、元の健康な体を取り戻したいとさい判を起こすと、お金目当てだと言われ、そこでも周りのねたみの言葉が水俣病患者の心をひどくきずつけました。この話から思ったことは、水俣病の恐ろしさ、残こくさというのは、体から健康をうばい、ふ通の生活をうばったというだけではなく、地域にあった近所同士のきずなや思いやりの心までもをうばっていってしまったことだと思いました。
 私たちは今、水俣病という歴史から学び、真剣に向きあっていく覚悟をしないといけないと思います。水俣病という恐ろしい公害を起こしたのは、人間。起きてしまった公害できずついた人々をさらに追い詰めたのも人間です。同じあやまちを二度とくり返してはいけません。国や会社は自分たちの取り組みに責任を持つ。私たち一人一人も関心を持ち、助け合いの気持ちを持つ。そういう覚悟を持つことで、公害をなくし、 人々が思いやりでつながる豊かな未来になると思います。


中学校の部

 

繰り返さぬために

佐藤百華さん(新潟明訓中学校2年)

 「阿賀野川はたくさんの思い出が詰まっているんですよ。」
この言葉から語り手さんのお話が始まった。
 先日、私は新潟水俣病について知るために語り部さんの講演を聞きに行った。そこで、水俣病の症状や語 り部さんの気持ちについて少しでも知ることは出来たと思う。
 一九六五年、阿賀野川下流で水俣病の症状によく似 た患者が発見された。水俣病とは有機水銀によって汚染された魚介類を食べ続けることによって起きる中毒性の神経系疾患である。主な症状は、手足のしびれや 感覚が低下するなどの感覚障害や運動失調、聴力障害などがある。これはのちに新潟水俣病と呼ばれるようになり、原因は昭和電工鹿瀬工場の排水であった。
 ここまでの内容は授業で習っていた。だから、私はすぐに水俣病についてのお話をするのかと思っていた。でも、それは違った。
 語り部さんがまだ小学生だった頃、阿賀野川は中州が出来るほど浅かった。だから友達とよく中州でキャッチボールやおにごっこをして遊んでいたとおっしゃっていた。
 さらに、阿賀野川は人々の生活に欠かせない川だった。タンパク源である川魚を捕ったり、重要な交易路として物資を運んだり、家事で川の水を使ったりしていたからだ。阿賀野川はいわゆる『命の川』であった。
 語り部さんは、昔を思い出して楽しむように語っていたように思えた。私は、だからこそ辛くなった。人間が人間の大事にしていたものを壊してしまったように感じた。
 だが、新潟水俣病の辛さは症状だけではなかった。
当時、新潟水俣病は原因不明の病気であった。だから、周囲から
「あれは伝染病だ、移る病気だ。」
と誤解され、仕事を辞めさせられたり、結婚出来なくなったりと差別が絶えなかった。その他にも、魚が売れなくなることを心配した人々が患者として名乗り出せない空気を作ってしまったり、認定申請を棄却された人を中傷したりするなどのことがあった。水俣病は人の体も心も傷つける病気だった。
 私は、新潟水俣病は人間が考えることをしなかったがために出来てしまったものだと思う。水俣病や他の公害も同じだが人間に有害なものを流してしまったら大きな被害が出ることは考えられたはずだ。差別や中傷も同じだ。水俣病はなりたくてなったものではないことには気付けたはずだ。それで傷つくことにも気付けたはずだ。
 私は、公害を繰り返さないために必要なことは「知ること」と「考えること」と「行動すること」の三つだと思う。過去にあったことを知ってそこから学び、 同じ過ちを繰り返さないように考えて行動することが必要だと思う。私は今「知ること」までは出来た。だからこれから「考えること」と「行動すること」を心に刻みながら生活していきたい。まだ新潟水俣病は終わっていない。まだ水俣病患者として認めてもらっていない人達が裁判を続けている。私は、その人達のために出来ることがしたい。それを考えて行動したい。新潟水俣病を、公害を繰り返さぬために。
 


 

今、私たちにできること

平岡千鶴さん(新潟明訓中学校2年)

 私は小学校五年生の時に「新潟水俣病・第三次訴訟」が取り上げられているニュースを見て初めて「新潟水俣病」という言葉を聞いた。ニュースでは「勝利!」と叫んで喜んでいた記憶があるのでこの病気は完治し、解決もして皆が幸せに暮らしていると思っていた。しかし「水俣病」はまだ終わっていなかった。
 昭和四十年六月、新潟水俣病が公式に発表された。新潟水俣病の原因は工場が身勝手に排出したメチル水銀化合物に汚染された魚介類を長期間たくさん食べたことによって起きた人的災害とされている。これにより、阿賀野川下流沿岸地域を中心に多数の被害者を生み出した。
 私は、「新潟県立環境と人間のふれあい館」で新潟水俣病被害者である稲垣シズヱさんからお話しを聞いてきた。シズヱさんが部屋に入ってこられた時、私は「あれ、普通の人と何も変わらないじゃないか。」と思った。しかし、話しを聞くと私が思ってた以上に辛く苦しい思いをしてきたということがわかった。水俣病は「タタリ・伝染病」などと誤解され水俣病患者は地域から孤立させられた。水俣病により、埋めがたい深い溝ができ、地域の絆も壊したといえるだろう。また、子供の就職、結婚でも差別された。感覚障害の方々は、見た目は普通なので裁判を起こしたり、救済を受けたりしているだけで「金銭目的」や「ニセ患者」などと言われた。このように体への影響だけでなく、精神的にも心が深く傷つけられたと聞いた。私は胸が苦しくなった。
 なぜこのように今でも差別や偏見がなくならないのだろうか。それは、水俣病を正しく理解していない人がたくさんいること。相手の立場に立って考える心が欠けていることが原因だと思う。そこで中学生の私にできることを考えてみた。「水俣病」がどういう病気で、どんな苦しみがあるのかを正しく理解し周りの人達に伝えていくということだ。中学生の私には情報を広げていくのはかなり難しい。でも家族や親せきに話すだけでも水俣病の現状を広めていくことはできると思う。そして風化させないことが重要なのだと思う。
 また、今の社会に新潟水俣病の辛い経験をどのように生かせられるかも考えてみた。熊本で発生した水俣病。その九年後に遠く離れた新潟の地で同じ人的災害 が繰り返された。本来なら何らかの異変が起きた時点で適切な対策と伝達をしなければならない。しかし近年の「東日本大震災・福島原発事故」でも情報を隠したり、ウソをついたとされている。また、私たちの生活が便利で豊かになった一方で、ダイオキシンなどの有害物質の空気汚染、CO2の発生による温暖化などの環境問題がある。これらは、私達の身体を虫ばんでいくことや自然破壊を起こすことから、少しずつエコ活動を推進しているけど、まだまだ体にどのような影響があるのか分からないことがたくさんある。しかし社会の様々な利害が複雑になっても、第一に相手の立場に立って考えることや、いかなる場合も正確な情報を公開すると共に人的災害が起きてから対策を取るのではなく、人的災害を起こさないようにすることを考えなければならないことを教訓にしなければならない。
 


 

第20回新潟水俣環境賞作文コンクール

  • 主催:新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病阿賀野患者会
  • 後援: 新潟県・県教育委員会、新潟市・新潟市教育委員会、阿賀野市・阿賀野市教育委員会、五泉市・ 五泉市教育委員会、阿賀町・阿賀町教育委員会、長岡市・長岡市教育委員会、上越市・上越市 教育委員会、三条市・三条市教育委員会、柏崎市・柏崎市教育委員会、新発田市・新発田市教 育委員会、小千谷市・小千谷市教育委員会、加茂市・加茂市教育委員会、十日町市・十日町市 教育委員会、見附市・見附市教育委員会、村上市・村上市教育委員会、燕市・燕市教育委員会、糸魚川市・糸魚川市教育委員会、妙高市・妙高市教育委員会、佐渡市・佐渡市教育委員会、魚沼市・魚沼市教育委員会、南魚沼市・南魚沼市教育委員会、胎内市・胎内市教育委員会、聖籠町・ 聖籠町教育委員会、弥彦村・弥彦村教育委員会、田上町・田上町教育委員会、出雲崎町・出雲 崎町教育委員会、湯沢町・湯沢町教育委員会、津南町・津南町教育委員会、刈羽村・刈羽村教 育委員会、関川村・関川村教育委員会、粟島浦村・粟島浦村教育委員会、新潟日報社、朝日新 聞新潟総局、毎日新聞新潟支局、読売新聞新潟支局、産経新聞社新潟支局、日本経済新聞社 新潟支局、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、NST、TeNYテレビ新潟、UX新潟テ レビ21、エフエムラジオ新潟、FM PORT 79.0、FM KENTO、ラジオチャット・エフエ ム新津、柏崎コミュニティ放送、エフエムしばた、FMゆきぐに、燕三条エフエム放送、FM-J エフエム上越、エフエム角田山ぽかぽかラジオ、エフエムとおかまち

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