「阿賀野川え~とこだプロジェクト」を紹介します!
新潟県は、平成17年6月、新潟水俣病40年を契機に「ふるさとの環境づくり宣言」を発表し、平成20年9月には、「新潟水俣病地域福祉推進条例」を制定しました。それらには、ふるさとのかけがえのない自然を二度と汚さないことを第一の価値として、新潟水俣病の教訓を未来へ伝えるとともに、いまだに苦しむ被害者の方々も含めて、誰もが安心して暮らしていける地域社会の実現を目指すことが表明されています。
その新潟県の提唱のもと、「阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業」(通称「阿賀野川え~とこだプロジェクト」・略称「FM事業」)は、平成19年11月に、流域市町や民間団体、有識者や地元の方々との官民協働でスタートしました。以下では、このプロジェクトの目的を、阿賀野川流域の歴史を簡単に振り返りながら紹介します。
◆かつての阿賀野川、近代化の光と影
本尊岩と帆掛け舟(柏崎市立図書館・小竹コレクション)
かつての阿賀野川は、帆掛け舟が多数往来し、鮭やマス、川魚が豊富に獲れ、子ども達が楽しげに遊ぶなど、人々の生活の場そのものでした。しかし、明治以降、上流に様々な企業が進出し、日本の近代化や高度経済成長を華々しく支えた裏で、新潟水俣病という大きな公害が発生して、阿賀野川に暗い影を落としていきました。
◆失われた二つの絆、向き合えなかった流域地域
昭和電工㈱鹿瀬工場俯瞰図(昭和20年代・鹿瀬工場タイムス)
この新潟水俣病の発生を境として、日本全体が豊かになる過程と歩調を合わせるように、流域の「人と人の絆」や「人と自然の関係」が崩れていきました。また、阿賀野川流域でも、地域として新潟水俣病に正面から向き合うことは少なく、ましてや新潟水俣病を乗り越える動きもないまま、発生から長い年月が過ぎてしまいました。
◆新潟水俣病と向き合い、乗り越える流域づくりを目指して
阿賀町三川地区の林道から阿賀野川を望む
「阿賀野川え~とこだプロジェクト」は、こうした現状を積極的に変えていこうと、阿賀野川流域の各地域が今も続く新潟水俣病と向き合い、それを乗り越えるような「人と人の絆」や「人と自然の関係」を紡ぎ直すことを目的として、流域の住民・行政・民間団体が手を取り合い、「新しい地域づくり」を目指して平成19年からスタートしました。
こうした「もやい直し」と呼ばれる地域づくりは、まだ緒に就いたばかりですが着実に前進しつつあります。今後は、この「失われた絆の回復」に向けた地域再生の取組を今後も長く持続していく手段として、光と影の歴史を刻んできた阿賀野川流域だからこそ提供できる独自の環境学習を運営し、全国の多くの方々から流域を訪問していただこうと考えています。
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