2013年07月07日
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”草倉銅山”を知る阿賀野川流域の住民から見た”足尾銅山”レポート
先日、波多野孝さんが足尾銅山に行ってこられたので、その時のレポートをご紹介させて頂きます。
記事の最後に栃木県日光市のHPアドレスを載せておきますので、興味がありましたらそちらをどうぞ♪
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足尾銅山へ行ってきました。
突然ですが…
みなさんは、阿賀野川の源流を見たことがありますか?
これがその写真です…
みなさんは、阿賀野川の源流を見たことがありますか?
これがその写真です…
どうでしょう
源流はとても近いぞ…?
何かどこかでみたような写真が続きました。気が付きましたか。
そうです。佐渡金山とよく似た光景ですね。
展示室も含め、ここは、いかに銅が産出して繁栄したかだけを見学するところでした。
入口の「ようこそ足尾銅山観光へ」の看板は、非常に残念に思いました。
鉱毒事件や田中正造に繋がる事柄は、ここでは感じることはできません。
足尾精錬所跡
足尾ダム上流
愛宕下の様子を記した看板
わたらせ渓谷鉄道 足尾駅
田中正造生家
分骨地
雲龍寺境内
4回目の押し出しの出発地
渡良瀬川古岸にあるお寺
↑阿賀から送った地蔵さま↓
公害発生地足尾銅山から渡良瀬川を下って、佐野・官林までの長い流域にはたくさんの遺構・施設があって、公害の原点「足尾」を感じることができた。
しかし、新潟側から見ると、足尾銅山復帰のきっかけとなった草倉銅山との関係や、田中正造と吉田東伍との関係については、全く表されていなかった。また、関係者への聞き取りからも、事実関係についての話は聞かれなかった。
今年は田中正造没後百年である。周知されていない「新潟」資料の提供が必要である。
しかし、新潟側から見ると、足尾銅山復帰のきっかけとなった草倉銅山との関係や、田中正造と吉田東伍との関係については、全く表されていなかった。また、関係者への聞き取りからも、事実関係についての話は聞かれなかった。
今年は田中正造没後百年である。周知されていない「新潟」資料の提供が必要である。
◆栃木県日光市HP
http://www.city.nikko.lg.jp/index.html
〇足尾銅山の世界遺産登録を目指して
http://www.nikko-ashio.jp/
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