第17回新潟水俣環境賞作文コンクール優秀賞受賞作品の全文を掲載します!

作文1
(写真撮影:小原王明氏)
 
平成28年6月12日、標記作文コンクールの表彰式が環境と人間のふれあい館で開催され、上記4名の方々が優秀賞を受賞されました。同コンクールは、新潟水俣病被害者の「こんな苦しみは自分たちだけでたくさんだ。子や孫に同じ苦しみを味わわせてはならない」という切なる思いから、次代を担う子どもたちに身の回りの環境に関心をもってもらおうと、県内小・中学生を対象に毎年開催されています。作文テーマは「新潟水俣病」や「身の回りの環境問題」などで、今年は263点の応募がありました。なお、今回の優秀賞は下記のとおりです。
 

◆優秀賞を受賞された皆さんと作品テーマ

 
優秀賞4作文の全文は下記に掲載します!
 
作文2
 

小学校5・6年生の部

 

動植物の声に耳をかたむけて

樋口ひなたさん(上越市立東本町小学校5年)

 あの日から、私は環境のことに興味を持ち目を向けるようになりました。
「えっ、何事だろう。」
いつもはおだやかな私の住む団地ですが、この日は違いました。四年生の春先の出来事です。
「近くのコンビニ付近でクマが目げきされた。」
という通報があり、数台のパトカーが赤色灯を点灯させながら、団地周辺をパトロールしています。この日はきん急事態ということで集団下校。怖かった私はランドセルの鈴が良く鳴るように、大きく体をゆらしながら下校したのを覚えています。その後、クマがどこに行ったかは分かりませんが、テレビや新聞の中での出来事が身近に感じられました。
 夜、家族と昼間のクマの事を話しました。
「何でこんな所にクマがいるんだろう。」
そんな私の疑問に母は、
「お母さんが小さいころは、こんな話は聞いたことがないよ。秋にはこの辺にサルも出たなんて言っていたよね。町並みもだいぶ変わったからね。」
と数枚の写真を見せてくれました。家から数十メートル先に通る大きな道路はそこにはありません。母が夢中で遊んだ川は、夏になるとホタルが飛び交っていました。今ではすっかり整備され、跡形もありません。田んぼがあった所は住宅地になっています。
 私は思いました。動物たちを取り巻く環境を変えてしまっているのではないだろうか。動物たちは困惑しているのではないか、と。私たち人間は、自分たちの都合だけで便利さを求め人間中心の環境にしてきた結果、動物たちの環境をこわしてしまったのです。私の周りでそれだけ多くのことが変化していることを考えると、地球全体では大きな問題です。
 私たちの生活は豊かになり、便利になったかもしれません。ですが、そのかげでは多くの動植物がぎせいになり、とても苦しんでいます。
「相手の立場になって考えよう」そう、動植物の声に耳をかたむけることで、色々なことに気付くことができると思います。私たちはたくさんの自然のめぐみに支えられ、生活ができています。私たち人間だけが生活しているわけではありません。動植物と共に気持ちよく生活できる環境を作っていくことは、私たちの明るい未来につながるはずです。
 普段の暮らしの中で、私たちにできることを考え、実行し広めていく。小さなことからでもいい。食べ残しをしない。ゴミを減らす。電気をこまめに消す。エコバックを持ち歩く。一人一人の心がけで環境を大きく変えることが出来ると、私は信じています。
「気持ちがいいね。うれしいね。」
そんな声があちこちから聞こえる、そんな環境を作っていきたいです。
 


 

新潟の自然のすばらしさ

岸田彩希さん(妙高市立新井中央小学校5年)

 私は、四年生のときの学習で、一番心に残った体験があります。それは、新潟の自然について勉強したことです。私が住む妙高市には夢見平という森林の遊歩道と、関川という大きな川があります。夢見平と関川の源流探検は私にとってすごいことを教えてくれました。それは、新潟の自然はとてもすばらしいということです。
 初めて行った夢見平には、おどろかされました。そこには、緑豊かな森林があり、エゾハルゼミというセミがないていました。私が一番気に入った所は白かばの木がならんでいる所でした。なんともしんぴ的な感じで、とても静かな場所でした。白かばの木の皮をとってみたら、つやつやしていました。ずっとここにいたいなと思いました。
 ほかにも夢見平には、いなり神社という神社があります。いなり神社には、けがや道に迷わないようにという意味もあります。てんぐのなみだ川の水を飲むとつめたく、あまくてとてもおいしくてびっくりしました。新潟の自然のおどろかされました。ところが、夢見平には落書きがしてある木があり、その木を見たときは、心からこのようなことをする人はひどいと思いました。私は新潟の美しい自然を守らないといけないとあらためて思いました。
 源流探検では、小川の中に入り、森の中を探検しました。そのときの水の温度は十三度でとても冷たかったです。源流探検をしているといかにも、自然がたくさんあると感じました。虫はすごくたくさんいましたし、巨大ななめくじもいてさわったらプニプニしていて気持ちよかったです。おどろいたのは火山の石が落ちていたということです。きいてみると二千年前に妙高山がふんかしてその石が落ちているそうです。私が源流探検で一番気に入った所は、「三人兄弟の木」という所です。三本の木が仲良くならんでおりとてもきれいでした。どうして三人兄弟の木なのかと聞いてみると仲良く日光をわけあっているからだそうです。本当に仲良くわけあっていて見ている私も幸せになりました。ほかにも新潟の自然はすごいと思いました。なぜかというと、イワナという魚は、水がきれいな場所にしかいないそうだからです。そのイワナが源流探検の川にすんでいて水がきれいなんだなと思いました。
 この二つの体験から私は新潟の自然を守っている人は本当にすごいんだなとあらためて思いました。どの場所も、自然があふれるすばらしい場所でした。そして、この自然を守っていく必要があります。これからも自然を大切にして生きていきたいです。
 


 

犠牲になる人をつくらないで

中田紗椰さん(妙高市立新井中央小学校5年)

 みなさんは、「水俣病」の事を知っていますか?そして、今もなお「水俣病」で苦しんでいる人がいる事を知っていますか?
 私が初めて「水俣病」という言葉を聞いたのは、総合学習の時でした。
 五年生は、総合学習で「水や食の安全」について学習していました。そこで、「水俣病」という病気の名前が出てきました。
 水俣病は、工場から川へ流れ出た有害物質を、食物れんさで人間が体内に取り入れてしまい、様々な症状になやまされるという病気でした。
 五年生は、人々がどんな体験をしたか知るために、水俣病体験者の小武節子さんに会いにいき、お話を聞きました。初めてお会いした小武さんは、私の思っていたイメージと全然ちがいました。
 私は、小武さんは多分自分が水俣病になった時の事を悔やんで、悲しんでいると思っていました。でも、小武さんは自分が水俣病になった時の事をむねにしまいこみながら、希望をもって人生を歩んでいました。私は、そのすがたに感動しました。
 小武さんは、もう犠牲になる人をつくらないために、さいばんをしたり、色々な活動をしていたそうです。私はおどろきをかくせませんでした。それと同時に、私も小武さんのような何があってもめげない人になりたいと思いました。
 差別や偏見もあったそうです。病院に行けば水俣病のかん者は後回し、外に出れば「あの家はね…。」という言葉が必ず耳に入り、白い目でジロジロと見られたそうです。
 私も、まちがった事を友達に知らせてしまい、「何だよ~。」などと言われた事があります。私が悪いという事は自覚していましたが、いくらなんでも言い方がひどいなと思いました。
 私は、差別・偏見・いじめなどの人をきずつける事は絶対にしたくありません。
 水や食の安全を守る事は大切な事だと思います。それができないと、このような大きな事になってしまいます。
 もう二度と、大きなトラブルで犠牲になる人をつくらないでほしいです。つくってはいけません。
 被害者の小武さんは私達に水俣病の事を教えて下さっていますが、私達は他人事だと思わず、水俣病の苦しみが50年たった今でも続いている事を忘れてはいけないと思います。
 公害は、人を苦しめるものです。
 私も、私達の未来のために、水や食の安全を守っていきたいと思います。
  


 

中学校の部

 

水俣病を学習して

星野智哉さん(新潟市立南浜中学校1年)

 「偏見や差別を受けないために水俣病であることを隠している。」これは、新潟水俣病患者である山﨑昭正さんが言った言葉だ。僕はこの言葉がとても印象に残った。
 環境と人間のふれあい館を訪問した僕たち一年生は、新潟水俣病患者である語り部の山﨑昭正さんから、水俣病について教えていただいた。現在新潟水俣病は五十周年という節目の年を迎えている。そんな節目の今現在も裁判が行われているそうだ。なぜこんなにも長く裁判が続いているのか。僕はそう思った。そこには、新潟水俣病患者の辛い思いや、怒り・悲しみで一杯だった。新潟水俣病は昭和電工鹿瀬工場が使った水銀が毒性の強いメチル水銀となり、排水とまざり阿賀野川に流されてしまったことが原因でおこった病気だ。この病気は体におこる害もひどく、今現在も後遺症が続き、苦しんでいる人はたくさんいる。山﨑さんもその一人で、山﨑さんに出た症状は、味覚しょう害、手、足先のしびれ、こむら返りなど、どれも辛い症状ばかりだ。これらの症状が現在も続く山﨑さんはこんなことを言った。
 「やっぱり家族へ迷惑をかけることが辛い。」と。僕は心が痛くなった。そしてその発言は水俣病は治る病気ではない事実を深く思い知らされるものだった。僕は水俣病のことは、ニュースや新聞で見ていたから知ってはいた。しかし、そんな水俣病がこんなにも人を傷つけ、悲しませる病気だとは全くもって知らなかった。だからこそこの山﨑さんの発言は心に残った。
 そして、水俣病で一番辛いことは、偏見や差別が今現在も続いているということだ。水俣病だからといって、悪口を言われたり、「水俣病の人は家に来るな。」と言われたり。水俣病患者にとってはひどく辛いと思う。その偏見・差別が今でもなくならないのは、大きな問題であると僕は思う。水俣病患者の人は一番最初にも言ったとおり、偏見や差別を受けないために水俣病であることを隠していたそうだ。それは、水俣病患者である人にとってとても辛く、苦しいものだと思う。なぜ偏見・差別がなくならないのか。この重い事実をしっかりと受け止め、自分にもできることを探し、偏見・差別をなくすことに少しでも貢献したい。
 僕は、水俣病に関わる行事や講演会などに積極的に参加したい。なぜなら、さきほど言った、偏見・差別をなくしたいからだ。若い僕たちがそういった講演会などに参加して、学習し、発信することで、一気に水俣病に対する見方、考え方が変わるかもしれない。また水俣病患者の人と積極的に交流をして、少しでも笑顔になってくれたら嬉しく思う。ささいなことだとは思うが僕たちが意欲的に働きかけることによって、偏見・差別が少しでもなくせることが、僕の願いでもあり、しなければいけないことだと思う。
 最後に、この水俣病を学習して思ったことは、水俣病にかかった人に、なにができるかということだ。僕は水俣病のことは、まだ全く分かりきれてはいないと思うが、自分にできることは探し、積極的に行っていきたい。
 


 

第17回新潟水俣環境賞作文コンクール

  • 主催:新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病阿賀野患者会
  • 後援:新潟県・新潟県教育委員会、新潟市・新潟市教育委員会、阿賀野市・阿賀野市教育委員会、五泉市・五泉市教育委員会、阿賀町・阿賀町教育委員会、新潟日報社、朝日新聞新潟総局、毎日新聞新潟支局、読売新聞新潟支局、産経新聞新潟支局、日本経済新聞社新潟支局、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、NST、TeNYテレビ新潟、UX 新潟テレビ21、エフエムラジオ新潟、FM PORT 79.0

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