2014年05月14日
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阿賀町・持倉銅山の踏査に挑戦★
先日、昨年テレビで放映されて話題になった「持倉銅山」(阿賀町五十島)に行ってきました!今後、持倉銅山が観光資源として活用できるか見極め、散策プログラムづくりへとつなげるためです。まだ5月なのでアブやヒルもほとんど出ておらず、気温もちょうど良かったため、踏査しやすかったのが何よりでした。
当日、まず将軍杉向かい側の道の駅に関係者が集合します。今回は五泉市の「タブノキの会」(会長:関川和男さん)の探索行に同行させていただきました。ガイド役は今年2月の講座で持倉銅山の講師を務められた、五十島在住の立川小三郎さんと写真家の山口冬人さん。そこにNPO法人まちづくり学校理事の江川功さんとあがのがわ環境学舎事務局1名が帯同させていただきました。
現地付近に車で到着して、メインガイドの立川さんのお話を聞いてから、いよいよ産業遺構に向けて総勢17名で出発です。
持倉銅山の産業遺構はこの川の上流にあるため、川沿いに進みます。
途中に巨大な砂防ダムが現れました。冬人さんによると、この砂防ダムができたことで、これ以降の上流に土砂が堆積して、昔と比べて川底が大幅に上がってしまったとのこと。
立川さん曰く以前は産業遺構まで車で行けたそうですが、現在では徒歩でしか辿りつけません。所々崩落しているため、それを避けるためにいったん川を横切り向こう岸に渡ります。一見水は少ないように見えますが、流れは急で川底の石が滑るため、気をつけないと滑って転んでしまいそう…(汗)
30分ほど進むと、持倉銅山の製錬所跡が忽然と姿を表しました! 長年の風雨や草木に侵食されて、かなり朽ち果てた様子です。
煙突へと続く階段を登ります。
入口上部が崩落して大変危険なため、この穴に入ることは禁止されました。
川の向こう側には、事務所跡が側壁のみ残っています。
間近で見る黒い煉瓦づくりの遺構は大変重々しく、当時の鉱山の繁栄ぶりがひしひしと伝わってきます。この建物は大正期の閉山後に放置されていましたが、戦後は蛍石の採掘が盛んになり、その貯鉱場として使用されていた時期もありました。
この建物の珍しい黒い煉瓦は「カラミ煉瓦」といって、銅鉱石を製錬した後に出る残滓(=カラミ)を材料に作られています。
そこらへんの草むらに1個落ちていたカラミ煉瓦のブロックを持ちあげてみましたが、通常の赤い素焼きレンガと比べて重いのなんの!
ちなみに、ここは昔の写真を確認すると谷で川はもっと下にあったのですが、下流の砂防ダムの土砂が堆積し、川底は現在の位置まで上がってしまいました。それに伴い流路も事務所側に振られ、年々建物を侵食しつつある状態です。
昨年のテレビ放映の影響で訪問したがる方々が大勢増えているようでしたが、道中は危険な個所も多々あり、観光資源化するには色々と準備する必要があると感じました。今後もさらに調査を進めていきたいと思います!
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