平成21年度 パネル巡回展

パネル巡回展について

★パネル巡回展「草倉銅山の光と影~鉱山(やま)に魅せられた人々~」

日本の激動期、東蒲原の豊かな鉱物資源と阿賀野川の水運により一代で財閥を築いた男と、坑道に命を燃やした名もなき坑夫たちの絆…。近代的な技術と設備によってもたらされた繁栄の一方で、煙害や魚類への鉱毒被害など、その後「足尾銅山鉱毒事件」へと至る兆しを垣間見ることができる「草倉銅山の光と影の歴史」を、わかりやすく紹介したパネル巡回展です。

◆FM事業初のパネル巡回展を阿賀野川上流域で開催!

FM事業では、初のパネル巡回展が平成21年度に阿賀野川上流域で開催されました。
平成21年度パネル巡回展の展示作品は「草倉銅山の光と影~鉱山(やま)に魅せられた人々~」。上流域から事業を開始したFM事業では、新潟水俣病や昭和電工㈱といった題材をいきなり取り扱うのではなく、まずは地元でも愛されている地域資源「草倉銅山」を取り上げ、その光と影の歴史を余すところなく描き出しました。

>>さらに詳しく:パネル作品「草倉銅山の光と影~鉱山(やま)に魅せられた人々」

展示会場のご紹介

◇上流域の旅館・ホテルなど6施設が展示会場に!

FM事業初となる平成21年度のパネル巡回展では、下図のとおり上流域・阿賀町の旅館やホテルなどを中心に最終的に6施設が展示会場となり、流域内外の大勢の方々からご観覧いただくことができました。なお、パネル巡回展の開始以前、草倉銅山ツアーの実施に合わせて、阿賀町立津川小学校の文化祭にてプレ展示会も開催しております。

三川温泉三川館 新三川温泉you&湯ホテルみかわ 角神温泉ホテル角神
御神楽温泉みかぐら荘 かのせ温泉赤湯 狐の嫁入り屋敷

来場者の感想について

自らの地域の歴史を再び見つめ直す

草倉銅山の坑道跡(撮影:山口冬人氏)

  • 明治~大正期に、日本有数の鉱山企業を支えた最初の銅山があり、大きな町が生き生きと賑わっていたと知って、大変驚いた。(70代以上)
  • 銅山跡へは何故か行ったことがあり、興味深く拝見した。鉱夫の墓は鹿瀬の寺にあり、その場所にも足を運んだ。こういう歴史的なものはいつまでも後世に残していってほしい。(60代・津川)
  • 草倉銅山・鹿瀬発電所・昭和電工など、日本の工業に少なからず影響を与えた企業が身近にあったことがあまり知られていないため、再び見直す機会になればと思う。(50代・津川)
  • 角神付近にかつて銅山があったと聞いてはいたが、これほどの規模で日本の近代化を支えていたとは驚いた。そして、公害の原点でもあったのか。鉱山跡を訪ねてみたい。(40代・三川)

今なお残る公害のさまざまな影響

いまだに草木が生えない建物礎石跡(※建物は鉱山事務所と言われている、撮影:山口冬人氏)

  • 自分が生まれ育った場所なのに、草倉銅山のことはほとんど知らなかった。今この東蒲原があるのは、銅山や電工など公害問題としてしか把握してなかった、先人たちの様々な苦労があってできたものと、改めて知った。(40代・津川)
  • かつて昭和電工が全盛を誇り、その後、排水が原因となって新潟水俣病の発生に直面した訳だが、それ以前の草倉銅山の歴史を知り、東蒲原郡阿賀野川流域の人達の暮らしに感慨深いものを感じた。(70代・五泉市)
  • 草倉銅山跡に2回ほど行ったことがあり、当時6千人も住んでいたとは思えないほど山に戻っていた。新潟から津川に通勤しているが、阿賀町の人が水俣病について何も語らない(語れない?)現状を見て、公害発生地の問題の深さを感じている。阿賀町はとても良い所なので、このような取組みで下流域とのつながりが深まればと思う。(40代・新潟)

地域の歴史が今の私たちに教えてくれる教訓

草倉銅山本山に今も残る墓石群(撮影:山口冬人氏)

  • はじめは賑っていた草倉銅山だけど、結局誰もいなくなってしまい、悲しく感じた。(10代・上川)
  • いっぱい銅がとれても、公害問題など、たくさんの問題があったと思った。(10代・上川)
  • 何かを得るためには必ず何かを払わなければいけないと思った。しかし、それに気づくのも何か大変なことが起きた後だということ。(20代・津川)